柿の専門

農園の開墾と人徳(農園②) 18

 やりがいは、利益だけではない。社会貢献がやりがいというと偽善だ言われることがあるが、当時の2代目石井光洋は言っていた。「柿の加工を始めた時も、みんなが感謝してくれた。皆のためになるんだったらと頑張れた。今も同じや。やりがいがある。」その言葉の重みに私も頑張ってみようと思った。
 それから、石井光洋は購入した放棄された柿畑と戦うことになる。うり坊(イノシシの子供)に何回も遭遇しながらも、鬱蒼とした森のような柿畑を下草を刈り、いらない木を伐採して粉砕の繰り返しだけで数年を要した。もちろん若い社員と数名のパートをつけて行ったが、過酷な作業だったと聞いている。 
 草むらの中に大きな木と古墳が出てきて、最高の眺望を見ることのできるスポットとして、今は天理の畑の象徴的な場所となっている。「ここに立つと大和盆地がすべて見下ろせる。気持ちがいい。」といい来てくれた人全員を古墳に案内するのであった。利益はないが、夢のある大きな事業を想像し、楽しそうに仕事をしていた。
 忘れてはいけないのは、地元の方の存在だ。ユンボを操縦してくれたり、土地の境界でもめたときは仲介に入ってくれたり、バーベキューをしたり、2代目を応援してくれる存在がいつも近くにいた。石井光洋は、そんな人徳のある人だった。いつも石井光洋は言っていた「父は人徳があり偉大だった。越えれそうにない。」私も同じ思いだが、方向は間違っていないと思うので、進むのみである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました