6次産業化といえは、通常農家が加工を始めて、販売もしてしまうことをイメージするが、
柿の専門では、傷ついた柿の加工から始まり、自社のブランドを立ち上げて店舗販売をしたが、こだわりの原料を求めて、栽培を開始した。栽培までする所は少ない珍しいケースだ。
なぜ、栽培をするようになったのか、説明では有機JASの柿の葉をしてくれるところがなかったからと答えているが、それほど単純なものではない。もちろん、理由の一位は有機JASの柿の葉であった。
地元吉野で柿の葉の有機栽培をしてくれるところを探したが、柿の実を育てる方が安定した収入を得ることができるため誰もしてくれなかった。農地の購入も検討したが手放そうとする農家は少なく、また農薬の飛散のない農園が見つからなかった。
そんな中、初代の石井勲を知ってくれる農家さんとの出会いで、2代目石井光洋の気持ちが固まった。それがたまたま、奈良県天理市(本社から1時間)で購入の範囲を広げた時のことだった。「石井さんが畑を買ってくれるなら、協力するよ」「みんな喜んでくれるよ」この言葉がよほど嬉しかったのだろう。 それが、石井光洋が私に伝えたかった”農園を購入しよう”と決めたきっかけだった。
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