後年、父が言った。
「会社には俺の居場所がない・・・」
第一戦で頑張ってきた父にとって、いつも思うようにできる場所があった。そんな場所が欲しかったのだと思う。父は、いつも何かにチャレンジしていなければならないそんな人物だった。
プライベートでも、習字、カメラ、ダンス、茶道、ロータリー活動などいつも何かにチャレンジしていた。どれも器用にそこそここなすようになっており、短期間で飽きてしまうということがなかった。それには高級な道具を買ったり、習いに行くなど、習慣化する方法を独自で見つけていたのだろう。そんな父が、後年語った「会社には俺の居場所がない・・・」という一言に衝撃を受けた。
20年かけて、自分がしてきた工場の運営を任し、デザインを任し、会社の経営を任し、天理の畑仕事を任し、開発の仕事を最後までしていた。そんな父が高齢になり、病気で新たなチャレンジをすることができなくなり、任せた仕事に口出しできない”歯がゆさ”があったのだろう。ふと「俺の居場所がない」という言葉になったのだと思う。経営者は孤独だとよく言われるが、我慢するしかなかったのであろう。いままで権力を持ち、ちやほやされていた人間が、急に周りから何も言われなくなる寂しさは人間として耐え難いものだ。任される側からすると”いてくれるだけいい。うなずいてくれるだけでいい。”そう思うのだが、孤独感を味わうことになるのであろう。
同じことが、現場でも世代交代をする際によくおこる。任せる側は、自分の居場所がないと思ってしまうが、そんなことはないのだ。いてくれるだけで嬉しいのだ、あまりにおかしい時は言ってくれる安心感が大切なのだと思う。言いすぎても、言わな過ぎてもダメ、その塩梅(あんばい)を後継者のためを思って、考えてほしい。それが後継者の育成だと思う。
私の役目は、後継者の育成であるが、任した側の心のケアも、頑張ってきてくれた感謝を込めて行っていきたいと思う出来事であった。
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