柿の専門

柿けーきのはじまり 15

②ものづくり

2010年平城京遷都1300年祭に向けて、5年前に柿ケーキの開発を行った。当時、小麦粉、卵、牛乳の使用を自社工場で扱ったことはなかった。アレルゲンということでいろいろと気を付けなければいけないことが多いのでとりあえず反対した。しかし、奈良県の担当と話をしていて、父の中ではすでにすることは決まっていた。

 そこからが早かった。いつのまにか、中古のオーブンを知り合いに譲ってもらい、大阪に引取に行く予定が決まっていた。付いてこいと言われ、リフトもない倉庫に置かれた500㎏の重たいオーブンをチェーンブロックだけで2トン車に積み込んだ。仕事が終わって大阪に行ったので、薄暗くライトをつけてもらって作業したのを鮮明に覚えている。

チェーンブロック


 また、ケーキ作りを知らない父は、講師を呼んだからと言って専門家を3日ほど来てもらう約束をしていた。そしてケーキ作りが始まった。他にもあるが、いろいろな逆境をいともたやすく乗り越える魅力的な父がそこにはあった。焼き型を決めたこと、ジャムを流し込んだこと、柿のヘタを載せたことなど色々なことが、私の脳裏に焼き付いている。パッケージを絵を画家に頼んだことで、いろいろな物語が完成した。


 父は形状を商標として登録し、発明協会から表彰され、2006年には全国商工会議所会頭賞を受賞することになった全国2位の賞であった。

 なぜ、柿ケーキをしようと思ったん?と聞いた時の答えが、「奈良県が柿ケーキを奈良のうまいものとして広めたいと思ったが、進まないので原料供給を積極的にしてほしい。でも、個人店が多いので、お土産物にもならないので、何かアイデアないですか?」と聞かれた。「私がやります」と言ってきた。そんな父に、私は魅力を感じた。

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